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日本だと週に40時間も働いてるの?お前の会社は50時間以上?オフィスに座ってパソコンとにらめっこ。そんなに働いて、ストレスを溜め込んで、何のために生きてるんだよ。”Life is better in flipflops”だぜ!

帰国して初めに思ったのが「やっぱり俺、日本合わないな」でした。今までなんども海外に行く機会はあったけど、帰ってきた時に感じるこの感情の正体、今回はっきり分かった気がする。

 

朝起きて窓を開けたら、爽快な空と海が見える。丘の上の方は山。坂を下りながら歩いていると、何を考えるでもなく今日はどんな出来事があるかな、ってわくわくした気持ちが自然と胸の内から沸き起こってくるようだ。こういうシンプルな喜びを見つけられるのは嬉しい。時間がもっとゆっくり流れているように感じる。

 

ゆっくり景色を見ながら歩く。ゆったりした心持ちでいるだけで、目に入ってくるものが全く違うと気付く。サンダルで歩くのは気持ちがいい。パチッ、パチッとサンダルが奏でる音と共に自分の心も軽快になってくるような気がした。足に直接かかるそよ風は本当に心地よく、空を見上げていると、気付いたら自分の背筋がピンと伸びていて、自然と良い姿勢になっていることに気付く。

 

なぜか知らない人と良く目が合う。笑顔で”good morning!”って挨拶を交わすのが気持ちがいい。いきなり”Hey, whats up today?”なんて声をかけられて、そのまま話し込んでしまうこともしばしば。

 

普段の顔から微笑んでいる人が多くて、目が合えばクシャっとした笑顔になる。服ももちろん気を使っているのかもしれないけど、それよりもいい笑顔といい身体をしている人が多くて、Tシャツ一枚でもみんな素敵に見える。

 

ここはとある発展途上国のリゾート地で、現地人以外は西洋の人ばかりだ。皆国籍は多様だから、お互いに興味津々。一度話し始めれば、いつまでたっても話題は尽きない。直接会って話している方が楽しいから、携帯は次第に部屋に置いて出かけるようになった(もちろん、仕事上必要なときは持ち歩くようにしていたけど)。

 

夕方には仕事が終わって、その後は海沿いの道をランニングしたり、友人とジムに行ったり、海で一泳ぎしたり、夕日が沈むのを見ながら眺めたり、みんなで食事をしたり、ビリヤードをしたり、たまにはバーで飲んで踊ったり。日の出とともに始まった一日は、あまり遅くなりすぎないうちに終わるのだった。



●日本に帰ってきて

帰国して、まず最初に目に入ってきたのは電車の広告。たくさんの文字情報がバーッと目に入ってきて、自動的に目と脳みそがそれを読み込んでいく。なぜかひどく気疲れした。考えてみれば、他の国で電車内にこんな広告が貼られている国は知らないし、日本みたいに街中のどこでも看板や広告で満たされている国なんてないんじゃないか、と思う。

 

急に電車が揺れて、向かいのトランクが動き始めた。向かいの席の女性がそれを引き戻そうと立ち上がったので、俺はそれを止めて女性の方に戻した。その女性の方を見ると、それまでは俺の方を見ていたようなのだが、さっと目を逸らされた。俺も顔を上げると、周りの人達も目線をあげてその一幕を見ていたらしいのだが、皆一斉にずっといじってたらしい手元のスマートフォンに、表情も変えずに目線をさっと落とした。ずっと携帯携帯携帯。仕事中もパソコンをいじってるし、あれすごい目とか肩とか疲れるんだよな。

 

その人達の後ろにある電車の広告は本の紹介だった。ベストセラーで600万部突破したらしい。タイトルは「人生の目的」。読むと人生の目的が明確になるらしい。

 

人生の目的は、突き詰めれば「幸せに生きること」だと俺は思っていたから、ワクワクとした幸せな心持ちで毎日を過ごしていた俺には、人生の目的を探す、という発想自体が到底滑稽なものに感じられた。

 

なんだか日本にいると色んなものに縛られて、無駄なものが多すぎて、自然と分かるはずの「人生の目的」をわざわざ投げ棄てて苦しんでおきながら、600万人以上の人が、わざわざこういう本の中から投げ捨てたはずの「人生の目的」を探すという倒錯が起きる。

 

本屋のランキングはビジネス書を除けば恋愛、人生の本ばかりで、ネットのコラムもそんなものばかり。書いてあることはその通りかもしれないけど、そんなこと、どうして読まないと分からないの?って言うものも多い。

 

でも、俺も日本にいるときは毎回そうなるのを知っている。だから海外に行って(国にもよるけど)、生活や人間関係の複雑なものが削ぎ落とされてシンプルになると、俺の心はふわっと軽く軽快なものになる

 

これは日本と海外の二項対立の構図ではないけれど、大きな環境の変化が人が抱える色々なものをシンプルに見せることは間違いない。仕事もあって、今まで築いてきた人間関係などのせいで人生が複雑になっているのはこれまで根を生やして生きてきた国で日本だからで、他の国でも長く住めば一緒だと思うかもしれないが、あながちそうでもないみたいなのだ。サッカー選手の本田圭佑さんも、「日本という環境が色んなものを縛っていて、海外に出るとそれから解放される」こんなことを言っている。

自分自身、日本で暮らしていたときに、『なんでこうなんやろうな』っていう疑問や不満を、結構多く抱えながら生きてきたから。

海外に出て、やっぱり海外はそうじゃなかった。

俺が抱えていた不満って、言い換えればすごくシンプルで、純粋なものやったよな、とか。ずっと日本では、俺が変人扱いされたりとか、変な奴に見られるっていうことが、子供のときから多かった。

でも本来はそれって、自由なんじゃないのって思って。そういう思いを抱えたまま発した言葉は、もはや自分の言葉じゃないんじゃないの、とね。誰かに操られている言葉だったら、個性もくそもない。そういうものに疑問や不満をずっと抱えてきた。だけど、海外に出たことで、自分が大きな夢を持てていることのメリットをより強く感じられた

日本では、そういう子たちが生きていく過程で変なものをいっぱい植え付けられてしまう可能性も高くて。

勝手にリミットを設定されて、不満を持つことを排除され、気がついたら『あれ? これでいいんやったっけ?』って思考に陥っている大人がたくさんいると思う。

子供のときはそうじゃなかったと思うし、みんな純粋でいろんなものに疑問を持っていて、でも経験を積み重ねて世の中を知っていくうちに、社会にもまれていくうちに、それが許されない環境で、仕事をしないといけなくなってくる。

本田圭佑

何のために生きるのかって、そりゃ生きていて幸せに感じるために決まってるよ。でも、日本社会は、余りに同質的な文化だからか、異質なものに対する排除がものすごい。勝手に色んな縛りを作って、気付かないうちに色んなものに縛られて、勝手に目的を増やしていって、その結果ストレスに苛まれたり、幸せとはなんだか分からなくなったり。

こういう当たり前のことを再認識するために、今自分がいる状況から離れて生活するのは大切。そして、携帯なんて投げ捨てて、もっとゆったりとしたペースで、空でも見上げて、人の笑顔と自然の中で生きていくことで、見失っていた「幸せ」や「人生の目的」ってなんだったのか、再び気付く手助けになるんじゃないかな。

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